2005/03/30

 
 『花と爆弾』の最終ページを見ていただくと、発刊日は2004年3月25日となっています。その記念すべき一周年の夜に、また素敵な出会いが私を待っていました。
 その日は、いつも「アマデウス」のライブでご一緒させてもらっている民族音楽奏者のハクサンさんに誘われて、神戸北野のBIG APPLEというライブハウスに行きました。

 その夜の主役となったトリオの名は「ココペリ」。ジャンベを叩く10才のテペリーナ君、その両端には、髭をたくわえて飄々とギターを奏で、歌うマルコさんと、いろんな種類の楽器(太鼓、鈴、ピアニカから昔なつかしいオモチャの笛まで)を駆使して、音を積み上げていく風知魂さん。とても音楽が好きな家族なんだな~、次はどんな楽器の音がきけるのかな~と、本当に心温まる雰囲気のなか、とてもワクワクさせてもらえる素敵なライブでした。(ライブの模様は、マルコさんのHP「Marco House」内のライブレポート「酔いどれマルコの寝言だよ~ん」の3月27日更新分を見て下さいね。)

 ライブの後で、マルコさんのHPにお邪魔し、ライブのお礼を掲示板に書き込ませていただいたところ、マルコさんからメールを頂いて、メッセージを読む内に、「もしかして、この方とはすご~くご縁があるのかも?」と何か神秘の力を感じました(ちょっと大げさかもしれませんが:)
 何と言っても、バンド名の「ココペリ」。ココペリとはアメリカ・インディアンの精霊の名前なのですが、背中を丸く曲げて、縦笛を吹く姿がとてもかわいらしい、実りをもたらしてくれるという言い伝えのある精霊です。実は、私90年代後半は、どっぷりとインディアンにはまってしまっていて、インディアン居留地などにも足を運んだりしてましたが、その時出会ったココペリのかわいさに魅了されてたのです。
 また、いろいろメールを交換させていただく内に、マルコさんも戦争の悲惨さには、とても心を痛めていらっしゃることがわかり(ライブでも「アラブの歌」という中東に平和を願う内容の曲を演奏されていました)、ほんとうに私と共通項をたくさんお持ちの方だな~と感じていました。

 そして、今日、マルコさんから、またメールをいただきました。『花と爆弾』を読んでくださったのです。少しご紹介させていただきますね。 

この本を購入し、読む事で、たとえ一人でもアフガンやイラクの子供が笑みを浮かべてくれるのかな?と思いながら表紙を眺めていました。

本当は大きな力でなくても、ギター一本背負い、フラリと現地を旅し、おやつに持参したバターピーナッツを一緒に食べよう、なんて事できたらいいなと思います。
誰もが気軽にピーナッツの一粒になれたらいいのに。


本当に、マルコさんがギターを抱えて、ピーナッツをポケットから取り出して、子どもたちと一緒に食べながら、歌を歌っている姿が目に浮かびます。そんなマルコさんから託された気持ちを大切にして、これからも出来るだけの支援を、アフガンやイラクの子どもたちのために送っていきたいと思います。

そして、マルコさんからのメールはとても嬉しい言葉で締めくくられていました。

今僕は、小橋さんの詩を参考に曲を作り始めました。
また4月中には完成させて唄います。ご都合よければまたライブにも遊びに来てください。


また少し、湖面に投げかけた希望の波紋が広がっていった、そんな素敵な出会いのあった発刊一周年となりました。またライブでお会いできることを、心から楽しみにしています。
「ココペリ」さんのライブの予定など、また皆様にもお知らせしますね。

2005/03/22

 
 今日は、「花と爆弾」で支援させていただいているJVC(日本国際ボランティア・センター)のイラク担当でいらっしゃる佐藤真紀さんの講演会に大阪まで行って来ました。
 イラク戦争開始から昨日で丸2年ということもあり、講演はイラク戦争にいたるまでの経緯の検証から始まりましたが、JVCのイラクにおける主な活動である白血病患者の医療支援のお話が、やはり一番真に迫るものであったと思います。

 ご存じの方も多いとは思いますが、イラクには白血病を患う人が大勢います。それは、1991年の湾岸戦争で初めて米軍が使用した劣化ウラン弾の影響ではないかと言われています。劣化ウランは非常な硬度を持っているので、弾丸として使うと鋼鉄の戦車も木っ端微塵に粉砕することができるということで、開発された兵器ですが、その爆発時に劣化ウランが飛び散り、辺りを汚染し、環境と人体に多大な悪影響をあたえると言われています。ウランの半減期は45億年と言われ、想像を絶するような長時間にわたり人々を苦しめることになります。実際イラクでは、湾岸戦争の後の白血病患者数は、以前の8倍にも及ぶと言うことです。

 子供の白血病患者も多数いるということですが、日本の子供が白血病になった場合、約80%の割合で助かるところまで医療は発達しているのに、イラクではほとんどの子どもたちが、適切な医療を受けられなくて亡くなっているということです。講演会で見せていただいた写真やビデオにたくさんの子どもたちが登場しましたが、そのほとんどの子が、それから数日後、または数ヶ月後に亡くなってしまったそうです。今日、会場で購入したCDには、イラクの女の子の歌声が収録されていましたが、その女の子も亡くなってしまったそうです。女の子の歌声はとても幼く、ほんの4、5才ぐらいではないかなと思いますが、本当に一生懸命歌っていました。「ママもパパも私をとても大切にしてくれる。友だちもみんなきれい。」多くの人に愛されて、本当ならもっと多くの人と出会って、もっとたくさんの幸せをつかむことができた女の子が、大人たちが引き起こした戦争の犠牲になってしまいました。・・・つらいですね・・・。

 JVCでは白血病治療に必要な薬を病院に提供するという活動を行っています。4,500円で白血病患者を1ヶ月支援できるそうです。きちんと治療をすれば、本当は治る病気です。「花と爆弾」でも支援を続けさせていただきますが、ご興味をもたれた方は、是非こちらにお立ち寄りください。JVC(日本国際ボランティア・センター)イラク基金

2005/03/20

 
 昨日は、昼間は神戸の原田の森ギャラリーで開催された「国際寺子屋展」に行き、夜は相愛大学のWillis教授の家に行って来ました。覚えていらっしゃるいますか?インド洋沿岸津波被災地支援パーティーを主催し、その後インドのNGO"LAFTI"に参加された方です。先週インドから日本に帰国されたので、インドでの活動報告会をまず仲間内でということでの集まりでした。

 まず、国際寺子屋展ですが、こちらは「花と爆弾」が支援させていただいている「宝塚・アフガニスタン友好協会」の西垣さんがパネリストを務められた「異文化トーク」を拝見しました。会場にはアフガニスタンやキルギスから集められた刺繍が多く飾られ、その中で刺繍収集家で手芸家の中山さんと西垣さんが、アフガンの刺繍と女性についてお話をされたました。特に印象に残ったのは、刺繍はアフガニスタンの女性にとって唯一の自己表現方法であった(また今でも大部分の地域では変わらない)ということ。つまり刺繍の善し悪しよって、その女性への人々の敬意が変わるわけですから、皆一生懸命に刺繍の技術に磨きをかけるわけです。
 また女の子が生まれると、お母さんやお婆さんは女の子のお嫁入りの準備を始め、洋服の胸当てや、壁掛けなどに刺繍を施していくそうです。そして、女の子も大きくなるにつれて刺繍を学び、自分でお嫁入りの道具に刺繍をしていくのだそうです。
 西垣さんが見せてくださった写真の中にアフガニスタンの難民キャンプの子どもたちの写真があったのですが、どの子供も胸には綺麗な刺繍の胸当てを付けていて、貧しいにもかかわらず、美しい色合いの服を着て、キラキラとした瞳で笑っていました。

 夜はWillis教授の家で「お疲れ会」と「報告会」となりました。皆さんからお預かりした浄財を、Willis教授からLAFTIを通して、しっかりとインド被災地に届けることができ、一安心といったところです。しかし、あまり日本ではニュースにならないインドでも、津波の被害は甚大で、LAFTIが活動の拠点を置いている町だけでも、阪神淡路大震災と同程度の死者(約六千人)を出したそうです。隣町でも、またその隣でも・・・多くの命が一瞬のうちに津波にのまれてしまったそうです。

 元々は村のあった地域の写真も見せていただきましたが、もう村の面影はなく、ただの「ビーチ」となっていました。津波の破壊力は本当に想像を絶するものです。その写真の中に見える破壊は、本当に広島の原爆投下後の街の破壊と同程度のように思えました。LAFTIの活動する地域はインドでも非常に貧しい地域ですので、今後も津波からの復興のみならず、人々が人間らしい生活ができるような継続的支援も必要としています。詳しい活動は、もうすぐLAFTI日本語サイトが立ち上がりますので、そちらでご紹介しますね。

 見せていただいたインドの写真の中で、思わず微笑んでしまったのは、インドの小学生の子どもたちに寄付金を渡している場面のものでした。女の子は白いブラウスと紺色のスカート、男の子は紺色のズボンの制服を着て、たくさんの小学生が校庭に整列していたのですが、とても貧しい地域の子どもたちなのに、皆とても清潔で、そして女の子は皆髪の毛をきれいに三つ編みにしてもらって赤いリボンをつけていました。毎朝、お母さんが身支度をしてあげているんだな~と感じることができました。

 子どもたちは皆とても明るい瞳をしていて、昼間に見たアフガニスタンの子どもたちと重なりました。どちらもとても貧しくて、悲惨な体験をしているのに、子どもたちがこんなに明るいのは、毎日リボンを結んでくれたり、刺繍を刺してくれたりするお母さんや家族の愛情に包まれているからなのかな~と思いました。こんな言い方は失礼かとは思いますが、今日写真で見た人たちは、私たちよりずっと貧しくて、知識も少ない人々です。でも、私たちが忘れてしまった何か本当に大切なものを、しっかりと持ち続けている人たちなのではないか、彼らから学ぶことはたくさんあるのではないかと、考えさせられました。
 
 最後に、最近アフガン料理に挑戦していることを西垣さんにお話しましたら、アフガニスタンで購入されたというアフガン料理の本をくださいました。アフガニスタンに滞在していたアメリカ女性が30年ほど前にまとめられたレシピ集です。米料理からデザートまでたくさんの料理が紹介されていますので、また挑戦してご報告しますね。

2005/03/14

 
 今週末は、音楽と優しい気持ちにあふれた素敵な時間を過ごしました♪

 まずは昨夜の報告から。1月に開催したインド洋沿岸大津波被災者支援のためのチャリティー・パーティーに、その歌声を寄付してくださったHarvey Thompsonさんのコンサートが梅田のJazz on Topで開かれました。パーティー当日は私も忙しく、じっくりHarveyさんの歌を聞くことができなかったので、昨日のライブをずっと楽しみにしていました。HarveyさんのCDもいただいていたので、家でも聞いていたのですが、やはり生の歌声は素晴らしかったです。Harveyさんの声って、とても穏やかで、ずーっと聞いていても全然飽きないというか、いつまでも聞いていたい声なんですよね。お店を埋め尽くした大勢のお客さんもみんな音楽が大好きという感じで、また、Harveyさんたちアーティストも、演奏をとっても楽しんでいる様子で、とてもアットホームな雰囲気の素敵なライブとなりました。

 夜11時まで続いたライブでは、多くの曲が演奏されましたが、大津波被災地を思って作られたというレゲエ調の曲がとても印象に残りました。一回聞いただけなので、正確ではないかもしれませんが、こんな内容の歌詞でした。

 "If you want a better planet. we work together to make it real."(地球をもっと素敵な星にしたいなら、実現するためにみんなで一緒に努力しよう)

 「みんなで一緒に努力しよう」。願っているだけでは、実現しない。実現するためにはみんなが努力しなければ。軽快なレゲエのリズムにのって繰り返されるこのフレーズに、とてもポジティブなエネルギーをもらった気がしました。

 会場では、パーティーで知り合った懐かしい(?)顔にも出会いました。Harveyさんの奥さんに再会できたのも嬉しいことでしたが、驚いたのはあのダンスの名手(パーティーにこれらた方なら、あのラテンの血を引いたご機嫌な男性のことを覚えていらっしゃいますよね?)にも再会できたこと。その上、彼は4月からインドなどにおもむき、被災地救援ボランティア活動に参加する予定だということです。彼とはご縁がありそうなので、またいろいろ現地の状況など教えていただけそうです。その時は、また皆さんにもご紹介しますね。

 さて、もう一つ。金曜日の夜は詩人の福永祥子さんが開催されている詩と音楽のコラボレーションが神戸・元町のアマデウスでありました。音楽の方のメインは、1月のチャリティー・パーティーで最初に演奏された、勝木さん、神田さん、秋元さんのユニットで、「駄菓子屋」とか路地裏にちなんだご機嫌な曲を、こちらもたっぷり堪能できました。

 私が参加させていただくのは2回目ですが、今回はお題が「路地裏の英雄(ヒーロー)」ということで、少し私の子供時代の話をさせていただき、そしてイラクやアフガンの路地裏で遊んでいる子どもたちの話、続いて「花と爆弾」の詩の一編、空爆で死んでしまった女の子の詩を朗読させていただきました。最後は「花と爆弾」の曲を、恥ずかしながら、勝木さんたちに伴奏してもらって、歌わせてもらいました。ノスタルジーにあふれた楽しい雰囲気が、一変して暗く、悲しくなってしまって心苦しい感じがしましたが、この夜の私のメッセージの一部をご紹介して、今日は終わりますね。

 アフガニスタンやイラクでは、多くの子どもたちが路地裏から消えていきました。サッカーをしていて、爆撃された子どもたち。爆撃の後に残ったちぎれた人形。大人の起こした戦争の中で多くの子どもたちが死に、そして今も命や体の一部や小さな夢を奪われています。わたしはこの時代に生きる大人のひとりとして、本当に悔しいし、子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 いつか、世界中の子どもたちが、小さな望みを大切に育てていける、そんな時が来ることを祈って、これからも「花と爆弾」を歌い続けます。

2005/03/07

 
 今日は「大人のためのおはなし会」という一風変わった会合に参加しました。主催者であり、語り部でもある吉岡美奈子さんとは、昨年9月11日の「花と爆弾・ピースライブと朗読会」で出会いました。ライブにはご夫婦でいらしてくださり、お二人で絵本を出版されていることや、月に1回「おはなし会」を開催していることを話してくださいました。それからずっと、一度は「おはなし会」に参加させてもらいたいと思っていましたが、今日ようやく実現しました。

 絵本を広げてゆっくりとお話が始まりました。語り部の吉岡さんの声はとても穏やかで、そしてページをめくる時も、そーっと、そーっと、ゆっ~くりと次の絵が現れてきます。不思議なことに、子供むけの絵本なのに、読んでもらっていると、子供になったような気持ちというのか、次の展開はどんなだろうと、なんだかワクワクする気がしました。思い返してみると、私は小さい頃、童話の本は身の回りにいっぱいあったので、かなり読みあさりましたが、読み聞かせてもらった覚えがあまりありません。近所に紙芝居のおじさんもいなかったので、誰かにゆっくりと物語を読んでもらうことが、こんなにワクワクするものだとは、知らなかったような気がします。

 今日読んで下さった絵本の一冊に「だって、だってのおばあさん」という本があったのですが、とてもおもしろかったので紹介しますね。主人公のおばあさんは98才で、いつも「だって、私は98才だから~なんてできない」というのが口癖だったのですが、99才の誕生日にひょんなことから、バースデーケーキに5本しかロウソクが立てられなくて、次の日からおばあさんは「私は5才」という認識になってしまいます。それからは、以前は「98才だからできない」といっていたことも、「だって私は・・・5才。あら、5才だったらできるわね」ということになり、おばあさんは川を飛び越えたり、魚釣りをしたりしてしまうのです。

 ね、おもしろいでしょ?「~できない」と思っていることも、案外やってみるとできるんじゃないかな?と思わせるポジティブなメッセージと、吉岡さんの演ずる(?)おばあさんのかわいい語り口調に、とっても、ほんわかとした気分になりました。
 子供への読み聞かせが最近注目を浴びていますが、大人でも読み聞かせてもらうと、その楽しさがわかりますよ。子供に読み聞かせをしたいと思っている方、または日々の生活にちょっと嫌気がさして、新しい刺激が欲しい方にお薦めです。「大人のためのおはなし会」は毎月第1日曜日の午前10:30~11:30です。

 おはなし会の後は、他の参加者の人たちと連れだって、ランチを食べにいきました。初対面の人でも、絵本のことについて語りあったりして、本当に和気あいあいとした一時でした。
 
 さて、その後ですが、前回お知らせしたとおり、今日はアフガニスタン料理に挑戦する日にしていたので、三宮の神戸グロサーズという輸入食材専門店にいき、ひよこ豆とスパイスを購入し、コルマというチキンとひよこ豆の煮物とブラニという揚げナスのヨーグルトがけを作ってみました。入手したレシピがかなりおおざっぱだった上に、今までにアフガニスタン料理を食べたことがないので、まったくの感!で作りましたが、食べてみると、これもなかなか美味!ひよこ豆の食べ応えと独特の味わいに、主人ともども、はまってしまいました。今度はアフガンニスタンのスイーツにでも挑戦してみたいですね。どなたかレシピをお持ちでしたら、是非教えてくださいね。

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