2008/11/28

 
イラクとアメリカの地位協定

イラク連邦議会が27日、米軍の駐留を可能にする地位協定を承認しました。
その骨子です。

・米軍は2011年までに全面撤退
・戦闘部隊は09年6月までに都市や村から撤退
・米兵が任務外に重大な罪を犯せばイラク側に第1次裁判権
・米軍はイラク司法当局の令状なしに家宅捜査しない
・イラクは他国への攻撃の発進地、中継点とならない

前の記事でご紹介していたイラクはラマディから来たカーシムさんの懸念していた、第1次裁判権はアメリカの主張が通ってしまったようで残念でしたが(米軍がイラクで「任務外」と認定されることは非常に難しいだろうから)、令状なしに家宅捜査しない、戦闘部隊が来年6月から都市や村から撤退することが決まったのは、イラクの普通に生活する人々にとっては、やっと安堵の日々が戻ってくると言えるかもしれません。


そして、日本とアメリカの地位協定と比べた時、とても考えさせられる点が二つ。
米軍の撤退時期が明記されていることと、自国をアメリカの戦争の基地にさせないというイラクの決意です。


日本はアメリカとの戦争に負けて63年間、ずっと米軍の駐留を許してきました。
そして、イラクの人に「沖縄はアメリカの爆薬倉庫かと思っていた」と思わせるほどに、自国の土地をアメリカの戦争に差し出してきました。


そして、憲法を曲解してまでも、航空自衛隊ばかりでなく陸上自衛隊までもイラクに派遣しました。
奇しくも今日、イラクに派遣された航空自衛隊の撤収が決定しました。
イラクにおいて米兵や兵器を空輸していたと言われる航空自衛隊。。。


占領下のようなイラクでさえも、自国をアメリカの戦争に巻き込まれないように自らの主張を通したのに、なぜ私たち日本はいつまでもアメリカの戦争に荷担しているのでしょう。


イラクを見ていると、私たちがアメリカの戦争に荷担しているのは、私たちの意志でしかないのだと思い知らされます。イラクを通してみると、どんな言い訳も通じないことに気づきます。


「なぜ日本はイラクに攻めてきたのですか」

イラクの青年に投げかけられた質問の答えを、イラクの地位協定によって教えられました。



そして、私たちが自国の土地を、これ以上アメリカの戦争に使用させないと断固主張していかなければならないことも。それができるのは日本国民の決意しかないということも。

2008/11/16

 
突きつけられた問いかけ

引き続き、カーシムさんの講演会での話です。

話が終わり、質疑応答となったのですが、ひとりの女性がこんな質問をされました。
「憲法9条を持ち、不戦を誓った日本が、アメリカの戦争に荷担していることをどう思いますか?」


カーシムさんはゆっくりと語り始めました。

「みなさんは僕より日本のことについてはよくご存じのはずなので、逆に僕に質問させてもらいたいことがあります。日本はどうしてイラクに攻め込んできたのですか?あの当時、イラクは日本に何の危害も与えていなかった。日本とイラクは何ら接触を持っていなかった。それなのに、あなたたちはなぜイラクに来たのですか?」

「やはり石油が欲しかったのですか? それともただアメリカの言いなりになったのですか?」

「僕にはその理由が知りたい。」



この問いかけに答える人は、私も含めて誰もいませんでした。




そうです。どうして私たちはイラクへの戦争に荷担したのでしょう?
大量破壊兵器を持っていないことは、国連の査察官が何回も主張していたのに。
そして、ファルージャを始め、イラクの各地の都市で虐殺と呼べる事態が起こっているのを知っているのに、それでもなぜ、航空自衛隊に米兵や兵器の輸送をさせているのでしょう。


日本は民主主義国家のはず。
この日本の行動は、私たち国民の意思と考えられますよね。


イラク戦争に日本が荷担してしまったことの贖罪の気持ちから「花と爆弾」の活動を続けていましたが、あらためて、イラク人に「なぜ」と問われて、何とも答えられない自分をとても情けなく思いました。


贖罪の気持ちがあるなら、
イラクの人々の復興を支援するだけでなく、どうしてこうなってしまったのか、そのことをもっと深く考えていかなければ。。。
 
イラクと沖縄・・・加害と占領

昨日参加した緊急集会「イラク人と語る「戦争」と「占領」。
その講演で元イラク兵士で現在は故郷ラマディの復興に取り組むカーシム・トゥルキさんが語った言葉を、少し紹介したいと思います。

彼は今回の来日で、初めて沖縄に行きました。
「オキナワ」という言葉はイラクにいた頃から知っていたそうです。
なぜなら、多くの米兵たちが「俺はオキナワから来た」と言っていたから。
2004年の4月と11月に行われた米軍によるファルージャ総攻撃では、直接沖縄から海兵隊員が投入されたそうです。

だからイラクの人たちは、オキナワを米軍の基地だと思っていて、まさかそこに日本の民間人が生活しているなんて夢にも思っていなかったそうです。

今回、沖縄を訪れてみて、弾薬庫ぐらいのイメージしかなかったオキナワには、美しい自然とごく普通の人々の暮らしがあることを直に目で見ることができて、カーシムさんの中では、オキナワのイメージは変わったということでした。

ただ、忘れてはいけないのは、カーシムさんはオキナワを訪問するというまれな機会を得たことで、オキナワに対するイメージは変わったけれど、多くのイラク人にとってのオキナワのイメージを変えることは不可能だということです。


残念なことですが、それが現実です。


今回、カーシムさんが沖縄を訪れた大きな理由は、アメリカの占領政策を見ることです。現在イラクでは、地位協定に関する協議がアメリカとイラク政府の間で話し合われています。日本の地位協定と同じく、「公務にない米兵が重大で意図的な犯罪」を犯した時だけ、イラク側に第一次裁判権があるという内容です。

それがどんなことを意味するのか。それを直に見るために、沖縄を訪れたのです。
基地というイラクへの加害の顔を持つ沖縄と、イラクと同じように米軍の占領下にあるという同じ被害者という面も持つ沖縄。


私たちの国、日本の国土が、どうしてこんな哀しい役割を果たさなくてはいけないのか、そしてどうして私たちはその問題に目を向けようともしないのか・・・

カーシムさんの真摯なまなざしに、私も目を開かれた思いでした。
 

ハロー、僕は生きてるよ。

今日、奈良で開催された「イラク人の語る、戦争と占領」と題された講演会に行ってきました。
お話してくれたのは、「花と爆弾」でもわずかながら支援させてもらっている、高遠菜穂子さんとイラク人青年カーシム・トゥルキさん。

カーシムさんのことは、以前もブログでご紹介しましたが、2007年までブッシュ大統領から「テロとの戦いの最前線」と名指しされていたイラク・アンバール州のラマディ出身の青年です。


イラク戦争開戦当時は、徴兵制によりイラク兵として米軍と戦っていました。戦闘で多くの戦友を亡くし、そして占領が始まってからも、多くの家族や友人を失い、そして故郷の町を破壊しつくされました。


「最初、僕は復讐のことばかりを考えていた。でも、復讐は怒りを発散させるための自分勝手な方法だと気がついたんだ。そして故郷を復興させることこそが、今なさなければならないことだと。」

「家族が血を流して倒れているとしたら、復讐する前に、家族の手当てが先だよね。」


言葉にしてしまうと簡単なことのようですが、感情を持つ人間が、それも戦闘の方法も訓練された青年が、怒りに身を任せず、冷静に「なすべきことをなす」と、復興に力を注ぐ。なかなかできることではありません。
彼と会うのは、去年の講演会に続き今回で2回目ですが、その変わらぬ強い意志に、感銘で胸がふるえる思いでした。


講演会が終わった後、彼に声をかけました。
「怒りを克服し、復興へと尽力するあなたは、私のヒーローです。」と。

暴力の連鎖を希望の連鎖に・・・、
そう願って「花と爆弾」の活動を続けている私にとって、その願いをイラクという暴力と混乱の地で体現しているカーシムさんは、一筋の希望の光です。


今年も握手をして、別れました。
前回握手したときは、「彼は命をかけて、日本に真実を話しにきているんだ」と感じました。
あの頃のラマディは、日本人に協力しているというだけで、過激派や武装勢力に命を狙われるという状況でしたから。

その後、ラマディでは米軍の撤退と部族社会による統治で治安が改善し、今は安心して復興作業に取り組めるようになりました。


今回は、握手をして、心から”See you again”と言うことができました。



カーシムさんやイラクの若者たちが、安心して復興に取り組み、イラクに平和が訪れることを、
そして、平和を願う世界の仲間として、再会できることを、
心から願っています。



追記:
とても冷静で穏やかなカーシムさんですが、占領が続くイラクでの過酷な生活と悲惨で哀しい経験が1冊の本にまとめられています。
「ハロー、僕は生きてるよ。―イラク最激戦地からログイン 」
カーシム・トゥルキ (著), 高遠 菜穂子 (翻訳), 細井 明美 (翻訳)


カーシムさんの日本全国をまわるスピーキング・ツアーは続いています。
日程などの詳細は高遠菜穂子さんのブログをご覧ください。

2008/11/05

 
You did it!

アメリカ大統領選挙の結果、バラク・オバマ氏の次期大統領に選出されました。
8年間の共和党ブッシュ政権による失策があったにせよ、
「変革」を掲げたオバマ氏を支持したこと、
初めての黒人大統領を選出したこと、

その「変化」をもたらした、
アメリカの人々の底力、政治への献身に、
そして信念に、心から敬意を表します。


オバマ氏の前には試練が山積みです。
そして、すぐさま希望は失望に変わるかもしれません。

しかし、何があっても、
この歴史的な日を現実のものとした
アメリカの草の根の人々の不可能を可能にする力、
この偉大な民衆の力を、
私は忘れません。

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