2008/12/30

 
イスラエルの空爆下のガザで・・・


イスラエル軍によるガザ空爆が4日連続で行われています。空爆によるパレスティナ人の死者数は30日の時点で350人を越えたとのこと。その中には罪もない子どもたち女性たちも多く含まれています。

イスラエルによるガザ空爆。
イスラエルとハマスの衝突。

年末の楽しいバラエティ番組の間に、わずかに流されるこの悲劇も、多くの人にとっては「ああ、またか」と聞き流されるニュースのひとつなのかもしれません。


パレスチナの悲しみ、苦しみ、憎しみ・・・、すべて今までも聞いたことのある話なのかも知れません。


でも、そこで失われる命は、ひとりひとりの命は、たったひとつの命。
たったひとりの大切な人。


以前、パレスティナに暮らす女性たちのドキュメンタリー映画「ガーダ パレスチナの詩」を見ました。

たくさんのおばさん、おばあさんが登場していました。
私たちの周りにもいるような、陽気で優しいおばさんたち。


壊れた家の隣に立っているオレンジの木の下に座り、
なっているオレンジの実をたくさんくれるおばあさんもいました。

おばあさんの名は、ハリーマ。100歳です。
イスラエル軍に自分の家を壊されたけれど、隣の息子の家は壊されないようにと、ずっと息子の留守を守っています。

そして、撮影から3年後。ハリーマは亡くなっていました。
目の前で息子の家もオレンジの木もイスラエル軍のブルドーザーに挽き潰されて、狂ったように失意の中で亡くなったそうです。


この世の中に、こんなことが許されていていいのでしょうか?
世界はいつまでこんな暴挙を許すのでしょうか?

2008年最後の記事をこんな哀しい言葉で埋めなければならなくて、とても残念に思います。


*「ガーダ パレスチナの詩」オフィシャル・サイト

*2006年に劇場で「ガーダ」を見たときの感想ブログ(6月1日の記事です)

2008/12/23

 
イラクからアフガニスタンへ・・・

<アフガン駐留米軍>来夏までに2~3万人増派、倍増へ
ここ数日、新聞の片隅に見かけられる記事。。。
アフガニスタンを「テロとの戦い」の主戦場と見なすオバマ次期政権の戦略にもそって、イラクからアフガニスタンへ着々と戦力の移動が計画されているようです。


故郷の町、イラクのラマディが「テロとの戦い」の主戦場となっていたカーシムさんがこんなことを言ってました。
「ラマディに治安が戻ったのは、米軍がいなくなったから。外国からの武装勢力は米軍を追って他の町へ行っってくれた。だから、今は他の町(その当時はモスルでした)がたいへんなことになっている。」



そして、来年はイラクからアフガニスタンへ。。。

ヘリコプター部隊を中心に増派するとの情報もありますが、2001年にはヘリコプター部隊の襲撃を受けて、一家全員殺された村もありました。
村人の証言には、地面を転げ回る婦人をヘリコプターに乗った兵士が射殺していたというものもありました。


1979年のソビエト侵攻より、来年で30年となるアフガニスタン。


資源もなく、食べ物や水さえもままならない国。
この国には、兵士や武器ではなく、医者と食料が必要なのです。


こんな貧しい国の人々を殺し続けて、なにが「テロとの戦い」なのでしょう?
誰が本当のテロリストなのか、根本的な問いかけをオバマ次期政権が真摯に受け止めてくれることを望みます。

2008/12/11

 
ジェロニモ

今日、映画「ジェロニモ」がテレビで放送されていた。
19世紀のゴールドラッシュに沸くアメリカで、絶滅させられていったアパッチ族の戦士、ジェロニモの最後の戦いの日々を描いた映画。

10年ほど前は、「英語圏文化研究」という講義を担当していて、学生と一緒によく見ていたことを思い出した。あの頃は、まだ911も起こっていなくて、冷戦も終わって、このまま世界の平和は続き、21世紀は環境問題に皆で取り組む時代になると思っていた。

今、「ジェロニモ」を見ると、あの頃より一層悲しくなる。
あの頃は、「もう二度とこんなことが起きないように」と願いながら、また起きないだろうと思いながら、学生たちと見ていた。

でも、今見返すと、21世紀の「対テロ戦争」となんと酷似していること!
アパッチをテロリストという言葉に置き換えれば、そしてアリゾナやメキシコをアフガニスタンやイラクに置き換えれば、アメリカの軍隊がやっていることも、政治家が軍に押し付けている任務も、まったく同じ。そして、そこに真の意味での正義がないことも。。。


マット・デイモンの若かりし頃の主演映画です。
機会があれば、ご覧ください。

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