2009/05/19

 
断念の沼でカエルの合唱を聴きながら

辺見庸氏がコラム「水の透視画法」で、断念の沼のカエルたちについて書いていた。

「ものごとを突きつめて考えることを徒労と感じさせる悪水が断念の沼にはとどこおっている。怒りの表明を<どうせ、無意味さ>とせせら笑うカエルたちが断念の沼にはたくさん棲んでいる。考えを掘りさげ行動する経路を手もなく脱臼させ無力化させてしまう沼気が断念の沼からは絶えずわきのぼっている。」

私の心の中にも断念の沼はあって、カエルたちがケラケラと笑っている時もある。

今も続く、アフガニスタンとパキスタン国境でのタリバン掃討作戦。米軍やパキスタン軍の攻撃によって、命を落としていく子供たち。
封鎖されたガザにあって、イスラエルによる空爆にさらされ、また地上侵攻作戦によって目の前で家族を殺され、家を破壊された子供たち。

どんなにその不当性を訴えようと、「対テロ戦争」の名目の下に国際社会に黙認されてしまう子供たちの死、子供たちの苦しみ。

日本においても、政治家たちは「100年に一度の経済危機」などというスローガンの元に、「エコ・ポイント」などという美名を付けてみたり、わけのわからない定額給付金をばらまいたりして、企業と結託して大量消費社会を持続させるために、私たちの税金を食い散らかしている。

ほんとうは、もっと他に今必要なところに、そして未来の世代のために使われなければならない税金なのに。。。

「そんなことをいくら言っても何も変わらないよ」と、心の中のカエルが笑う。
ケラケラとした笑い声は、思考も言葉も飲み込んで、ただただ沼地に浮かぶ心地よさへと私を誘う。

無気力にぷかぷかと浮かぶ心地よさ・・・それに耽りたいと思ったことも多々あった。そして今でも時々誘惑されることも確か。

でもね、それがどんな喜びももたらしてくれないことも、もうわかっているんです。

あきらめることはいつでもできるから、
カエルたちの笑い声を、カエルの合唱として楽しみながら、
考えて、考えて、そして発言を続けていく・・・、
その方がやっぱり喜びが大きいのです。

辺見さんも、そう思ってられるのでしょう?

2009/05/03

 
豚インフルエンザと昔話

「大昔、動物がついにひとへの我慢を切らした。
動物を狩りに殺しても、その一部しか食べず、あとは腐るままにする。
ひとを生き延びさせるために犠牲になることに合意した動物たちに
感謝する心をなくし、
動物が少なくなっても狩りを続けたからだ。」

「そこで動物たちは対策を決めようと会議を開いた。
話し合いの末、ひとに病を送って懲らしめることにした。
鹿は関節痛やリューマチ、頭痛を、
鳥は腹痛を、と動物たちはさまざまな病をひとにもたらした。」



豚インフルエンザと呼ばれる新型インフルエンザが、
世界中で大流行となる兆しを見せています。

狂牛病、鳥インフルエンザ、そして今回の新型。。。
本来草食である牛に、乳の出がよくなるからと肉骨粉を与え、
効率がよいからと、鳥や豚を狭い狭いケージに囲い・・・、
そこから生まれたプリオンやウイルスが人間を襲う・・・。

動物由来の病のニュースを聞くたびに、
この昔話を思い出します。

私たち人間はこれらの病から逃れるためにどうすればいいのでしょう?

昔話は続きます。


「しかし、病にかかり苦しみだしたひとの姿に動物たちは情けを感じた。
そこで、一部のひとたちの夢に出て、病にかかった理由を告げ、
癒しをもたらす歌や踊りで、
薬となる植物の見分け方や心身の清め方を教えだした。」

「すでに送られた病からひとは逃れることはできないが、
動物に夢で習った歌を覚えている癒しびとの助けを借りれば、
ひとは病から立ち直ることができるようになった。」

「そして癒された人が狩りのしすぎを慎み、
死んでくれた動物を丁寧に扱い続ければ、病はぶり返さない。
 ひとは粗末に扱った動物から懲らしめとして病を送られ、
同じ動物から病を癒す術も授かったのだ。」
                   クリー族の伝説より



ただの昔話ですが、
現代の私たちに大切なことを伝えてくれている気がしてなりません。



*今回ご紹介した「クリー族の伝説」は
「アメリカ・インディアンの書物より賢い言葉」扶桑社に掲載されていたものから、
一部抜粋、編集したものです。
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毎週土曜日発行の小橋かおるメールマガジン「7世代に思いをはせて」より

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