2011/03/20

 
子どもたちを守るために


子どもと妊婦さんだけでも、
放射性物質を極力体内にとりこまないようにしてください。




野菜や牛乳、そして水道水からも放射性物質が確認される事態になりました。
政府もメディアも「ただちに健康に影響がない」と繰り返していますが、「ただちに」はなくても、5年後10年後には影響が現れるかもしれません。


私は放射能のことはまったく専門外で、はっきりしたデータなどで立証する術は持っていませんが、
これまでイラクやアフガニスタンの子どもたちの支援をしてきて、
劣化ウラン弾による「内部被曝」が原因と考えられるガンや白血病になった子ども、胎児の時に母体が内部被曝して信じられないような奇形で生まれてきた赤ちゃんたちを多く見てきました。


アメリカ政府は絶対に劣化ウラン弾の影響であるとは認めません。しかし、91年の湾岸戦争数年後から増えた小児ガンや奇形児の発生率、2001年のアフガン攻撃以来の状況を見れば、この「人体に影響はない」という米政府発表を鵜呑みにすることはできません。



今の「ただちに健康に影響がない」という日本政府の言葉も、もしかしたら大人にはあまり影響がないのかもしれませんが、子どもや胎児には多大な影響を与えることもありえるのではないかと懸念しています。

チェルノブイリの後でも、子どもたちがたくさんガンで亡くなっていきました。


子どもたちを守るために、専門家ではないけれど呼びかけたいと思います。


子どもと妊婦さんだけでも、
放射性物質を極力体内にとりこまないようにしてください。



環境やエネルギー問題にも詳しい田中優氏が、子どもたちの内部被曝の危険性を語る動画を教えてもらいました。前半30分ほどが内部被曝について、後半は自然エネルギーについてのお話です。

補足資料:
内部被曝と、原発と小児ガンの関係についての研究
琉球大学 矢ヶ崎克馬氏の論文

原発事故「最も憂慮すべきは遺伝子変異」

■チェルノブイリ原発から30~40kmに住んでいたラリーサ・トカチェンコさんの手紙

2011/03/14

 

日本中の電気を消せばわが家から天の川さえ見えるだろうか?
         短歌 by 小橋かおる 『海市』2011年1月号所収


そして、これからできること

この度の東日本大震災で、阪神淡路大震災とまったく異なる点は、原子力発電所の問題でしょう。地震国の日本で原発を稼動することの危険性は以前から指摘されてきましたが、「安全神話」に支えられ、そして「二酸化炭素を排出しない」という「ブーム」に乗せられて、日本の原子力依存は続いてきました。

昨日、福島原発第1号基が冷却装置不能に陥り水素爆発、本日午前同様の理由により第3号基が水素爆発を起こし、今夕同じような問題が第2号基に発生と伝えられています。危険な現場で作業にあたられている方々のご無事を祈り、また被害が最小のものですむよう願っておりますが、もしかしたら周囲が大量に放射線により汚染されるという最悪の事態も考慮にいれておかなければならない状況です。

数年前、原発と日本の原子力エネルギー政策の危険性と無計画性を知り、電気を使う気がなくなりました。こんな危険なまねをしてまで電気を作る理由があるのか?私たちが電気を使い続ける限り、原子力政策は止まらないのなら、無用な電力は少なくとも私は使うまいと、電気をなるべく使わない生活を始めました。

と、言っても普通の暮らしをする一般人ですので、たいしたことはしていないのですが、それでも少し工夫するだけで電気使用量は半分以下になりました。2階建ての一軒家に人間二人と犬猫一匹ずつの世帯ですが、春や秋の月間電気料金は三千円代です。

何をしているかというと、まず掃除機はなるべく使わない。フローリングの場所はほうきとチリトリで十分です。軽いし静かですから、いつでもどんなに少しのほこりでも気になった時にさっと掃除ができます。ほうきの生活に慣れると、どうしてあれほど掃除機にこだわっていたのか不思議に思うほどです。それから、白熱灯は蛍光灯の白熱色タイプに換えました。もちろん便座の保温もやめました。炊飯器や給湯ポットはもともと使っておらず、毎回ガスコンロでお湯を沸かし、土鍋でご飯を炊いています。面倒だと思われるかもしれませんが、慣れるとなんともありませんし、土鍋で炊くご飯の美味しさはやめられません。

今、関東では電気の供給量が足りないということで計画停電がなされているようですが、その前にひとつひとつの世帯が電気使用量を減らすという取り組みを試してみることはできなかったのでしょうか?少し気をつけただけで、かなりの電気が節約できるような気がするのですが。。。


そして、この節電は関東だけの問題ではないと私は思っています。東海大地震はいつ来てもおかしくないと言われ続けているのに、止められない浜岡原発。また私の住む関西では、供給される電気の40%以上を原子力に頼っています。危険で、使用済み核燃料の処理方法も決まっていないような原子力エネルギーに頼らなければならない理由が、私たちの使う電気を供給するためなのならば、私たちが少しライフスタイルを変えればいいのではないでしょうか?


電気がまったくない生活はつらいですが、少し工夫するぐらいならば、いろいろと新しい発見があって楽しいかもしれません。少なくとも私はとても楽しく節電しています。今夜は関東の停電に耐える人々と被災地の皆さんと心をあわせるつもりで、キャンドルで過ごします。
一緒にろうそくの灯で夜の静かな薄闇を楽しんでみませんか?


画像:「天の川」by小橋かおる
 
阪神大震災を振り返って・・・少しでも希望の種になれば

11日に東北地方で発生したマグニチュード9.0の巨大地震と大津波により、多くの街や村が甚大な被害を受けました。被害にあわれた方々には心からのお悔やみを申しあがるとともに、まだ救助を待っていらっしゃる方々に一刻も早く援助の手が届くことをお祈りいたしております。

今回の地震よりも規模は小さくなりますが、私も1995年に阪神淡路大震災を経験しました。一瞬にしてふるさとの街が壊滅しました。途方にくれました。何も出来ないと思いました。でも、皆とともに立ち上がり、街の再興に励みました。

地震より3日後には全国から援助の手が届き始めました。1ヵ月後にはだんだんと被災地での生活の枠組みができてきました。そして3ヶ月後には街から瓦礫は撤去されていきました。3年後にはほぼ以前の神戸の街が戻っていました。

もちろん、亡くなられた方は帰ってきません。多くの負債を抱えられた方、お商売が元にもどらない方、あまりにも無機質に復興した町に違和感を持つ方・・・いろんな問題を抱えたままの16年だったかもしれません。


でも、少なくとも3年後には、以前とほぼ変らぬ日常を取り戻したことには事実です。


現在、津波にのみこまれた街を目の当たりにして、絶望されている方も多くいらっしゃるでしょうが、決してあきらめないでください。日本には、素晴らしい力があります。東北の皆さんの愛されてきた美しい田畑、豊かな海の幸、穏やかな暮らしを取り戻すために、しっかりと手をとりあって立ち上がりましょう。


メモ:東北地方太平洋沖地震にWeb/携帯から募金する方法

2011/03/03

 


1月、2月を振り返って

早いもので、もう3月です。このブログも新年に更新しただけでとまっていたので、「どうしてるのかな?」とご心配をおかけしたかもしれません^^しかし、ご心配は無用!相変わらず元気に飛び回っておりました。この2ヶ月は、懐かしい人々とたくさんの再会を果たしました。

日本国際ボランティアセンターの原文次郎さん。イラクの子どもたちの支援をずっとされているJVCのイラク担当としてご尽力されています。多分4年ぶりぐらいの再会。今後、JVCは子どもたちの平和教育などに力を注いでいきたいとの支援の方針を説明していただきました。

日本イラク医療ネットワークの佐藤真紀さん。イラクの白血病や癌に苦しむ子どもたちの支援を続けられているJIM-NETの事務局長さんです。ちょうどバレンタイン・デーの前にお会いしたので、JIM-NETの大きなイベント「限りなき義理の愛大作戦」というチョコ募金のことをお聞きしました。最初始まったころは、5000個ぐらいが出れば・・・と思っていらしたようですが、初年度は結局1万個。そして今年は12万個!チョコ代や缶(イラクの子どもたちが描いたかわいい絵が載ってます)の経費を除けば、1個につき350円ほどが薬代として使われるそうですから、ものすごくたくさんの寄付となりますよね。

初めて佐藤さんにお会いしたのは5年ぐらい前で、まだチョコ募金も始まっていないころでした。報告会の後、個人的にお声をかけさせていただいた時、「薬を買うお金がまだまだ足りないんです」というようなお話をお聞きして、「なんとか寄付金を募らなきゃ!」と大胆にも思ったものでしたが、イラクの子どもたちが描いた絵がJIM-NETに大きな力を与えて、絵を通して日本全国に愛をふりまき、寄付金を集めてくれている今の状況を見ると、ほんとうに感激です。ひとりひとりの人を思う気持ちが、世の中を変えていくのですよね。


2月末には、「カブールの幽霊」展で、主催の陳富子さんに初対面しました!「カブールの幽霊」はアフガニスタンの子どもたちが描いた「怖いもの」の絵。4年前に京都で展覧会が開かれて、その当時とても感動して、私も小規模ながら絵を紹介するイベントなどを開いたものでしたが、主催の陳さんとお会いしたのは今回が初めてでした。いつもメールでやりとりしていたから、初めて会う気がしませんでしたが、「カブールの幽霊」の絵を前に、「これからもできることをし続ける」と語る彼女に、とても共感しました。


「花と爆弾」のご縁だけでなく、「いのち」や「環境」「生き方」など、いろいろなキーワードで再会し、また新たに出会うという多くのご縁をいただいた2ヶ月でした。


そして、3月。
これまでためこまれたエネルギーが一気に芽吹く春になりそうです。

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