2011/12/09

 
「ミツバチの羽音と地球の回転」in尼崎

12月4日、尼崎で開かれた「ミツバチの羽音と地球の回転」上映会に行きました。もう、この映画を拝見するのは3回目になりますが、友人が実行委員をしていたこともあり、また鎌仲ひとみ監督のトークも聞きたいと参加しました。

最後に鎌仲監督にお会いしたのは、原発事故の起こる約半年前、神戸大学での上映会でした。あの頃はまだ日本がこのような原発災害に見舞われるとは予想しきれていなかった。事故から9ヶ月が過ぎ、いろいろなことが分かってきた現在、鎌仲監督の話を直接聞けたことは、ほんとうに貴重なことだと思いました。

上映会後のトークで、改めて思い知らされた事実は、福島の放射能汚染のひどさ。監督はイラクで、戦場となった砂漠に落ちていた劣化ウラン弾の破片をガイガーカウンターで計測されたのですが、そのときの放射線量が3.8マイクロシーベルト毎時。これは福島市の空間線量と同じと指摘。「福島の子どもたちは、あの劣化ウラン弾の上で生活しているようなものなのです」と監督。それなのに「福島の人たちは逃げるタイミングを失ってしまった。」そして、「高濃度に汚染された地域も除染するなんて言っている。その除染作業を請け負うのは、東京電力の系列会社ですよ。一兆円の除染ビジネスが、また東電に転がりこむんですよ。」

この国の、企業の利益のために、また行政組織の維持のために、人の命を軽んじる姿勢を体現したものが原子力ビジネス。この命と暮らしを押しつぶす怪物を止めるられるものは、ほんとうに私たちひとりひとりの力しかないことが、この9ヶ月で明らかになったのではないでしょうか?

トークの最後に客席から、ひとりの女性が発言をされました。彼女は福島県の小学校の教員だそうです。あの汚染された学校に通う子どもたちを前に、いつもと変らず授業を続けることはできなかった、1ヶ月半でうつ病になってしまった、今は休職して関西に避難してきている、福島ではもう放射能の話も出来ない状態になっていると、涙に声を詰まらせながら語ってくださいました。

私も、神戸という福島原発からは遠くはなれた地域でも、4月、5月は平然と授業をするのがとてもつらかった。こんなことをしていていいのか?という思いに何度もかられました。その思いの何千倍も何万倍もつらい思いで、もがき苦しみながら、子どもたちと向き合い授業をされていた先生の生の声に、胸がつぶれる思いでした。

上映会終了後、監督と少し話すことができました。「最近、上映会に来られる方の反応とかは、変ってきましたか?」とお聞きしたところ、「事故後、8月ぐらいにちょっと皆疲れてきたかな?と思うこともあったけど、9月以降はまた盛り返してきた感じがしますよ。腹を据えて脱原発に取り組むぞ!という人が増えてきたと思います」と監督。

そうです。原発を続けようとする組織はとてつもなく大きい。私たちは腹を据えて、そして未来をしっかりと見据えて、このような悲劇が二度と起きない世の中を創るため、動き続けるのです。嫌なことは嫌だと言いましょう。ひとりひとりが腹を据えてブンブンと動き回り、世界を変えましょう。どんな未来が現れるかは、今を生きるひとりひとりにかかっているのですから。

写真は、5月に参加した神戸での脱原発パレードにて♪

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