2012/02/22

 
原発神話とテレビ

2月18日(日)神戸の生田文化会館で開かれた「NHK問題を考える会(兵庫)」主催の『番組制作者が語る 原発神話とテレビ』に参加しました。講師は1960年から97年まで日本テレビに勤務された元日本テレビディレクターの加藤久晴氏。お話はまず、「テレビやその他の主流メディアがきちんと報道をしていれば、日本に54基もの原発が造られることはなかったはずだ」と自戒の念もこめられた発言から始まりました。

私も以前から「反原発の番組を制作したり、記事を書いたりしたら左遷される」との噂は耳にしていましたが、加藤氏の話を聞き、それが事実であったことを確認し、またその理不尽さに改めて驚愕しました。例えば、1990年代初めには『プルトニウム元年』(広島テレビ)、『核まいね』(青森放送)という「ギャラクシー賞」など主要な賞を多数受賞した優れたドキュメンタリーが制作されました。その核=原子力の実態や地域への影響を問いかけるという内容が評価されての受賞だったはずですが、それにもかかわらず制作スタッフは営業にまわされたり、報道制作部自体が解体されたりしたとのことです。

上記のように核の危険性を伝える番組が弾圧される一方で、原発を推進する番組を制作するスタッフには潤沢な資金が投入され、また放送時間もプライムタイムが当てられるということです。しかし、このような番組の視聴率は低く、原発を推進する電力会社は、原発の安全性を人々に刷り込むために、あの手この手とテレビ業界に口をはさんできたそうです。例えば、ドラマのスポンサーになって、そのドラマに不自然にもかかわらず登場人物が原発を眺めるシーンを入れる、報道番組のスポンサーになって、(反原発のニュースがないか)報道内容を事前にチェックできるようにするなどです。加藤氏によると、そのように番組の内容に干渉することは、放送法で禁じられているはずであるのに、電力会社はスポンサーという力を使い、テレビ局の営業部の人間を連れて、制作部に「話を聞いてくれ」と言ってやってくるというのです。すなわち「話を聞いて、番組内容を変えないと、スポンサーを降りる」という暗黙の圧力をかけてくるということです。こうして、原発の危険性を訴えることはテレビ界(だけではなく主流メディアはすべてだと思いますが)ではタブーとなったというのです。

加藤氏のお話を聞き、今回改めて放送法というものを調べてみました。

放送法
第二章 放送番組の編集等に関する通則
(放送番組編集の自由)
第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること

この法律を遵守し、特に第三条を守るため、報道の自由に干渉するような企業は排除するなどテレビ界が毅然とした態度がとれていたなら・・・、また、第四条の四にあるように、意見が対立する問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすることができていたなら・・・、54基もの原発が造られることも、原発事故が起こることもなかったのではないでしょうか。


しかし、この事態を引き起こしたものは何も電力会社とテレビだけでなはいということも、今回のお話を聞いてはっきりとしました。このようにテレビを使って世論操作を仕掛けていた人々・・・そこにはやはり現在「原子力村」と呼ばれる人々がしっかりと入っていました。

加藤氏が紹介された資料(『放送レポート146号』1997年 p.31-41のコピー)に、科学技術庁委託・日本原子力文化振興財団作成の「原子力PA方策の考え方」という文書がありました。その制作は1991年。「原子力PA方策委員会」が設置され、その検討会の内容がまとめられたもので、委員会は、委員長に中村政雄(読売新聞社論説委員)というマスメディアの主要人物、メンバーには大学教授、電気事業連合会、原発メーカから、オブザーバーは、科学技術庁原子力局からの人材で構成され、事務局は日本原子力文化振興財団事務局長が務めるというものでした。一番驚いたのは、権力に対してウォッチドッグとなるはずのマスメディアが、権力側と一緒になって、世論を操作しようと動いていることでした。

彼らがその原子力PA(パブリックアクセプタンス、すなわち「広く認めてもらう」こと)方策検討会で何を話していたかということは、資料を見れば明らかなのですが、まったくもって原子力の危険性を知らない人々が、国民を馬鹿にするような発言で埋め尽くされていて、読んでいて気分が悪くなりました。個々の発言をここで取り上げるつもりはありませんが、検討されていた方策のいくつかをご紹介します。

対象・対象を明確に定めて、対象毎に効果的な手法をとる。例、子供にはマンガを使う。
頻度・繰り返し広報することによって、刷り込み効果を期待する。
時機・事故時を広報の好機ととらえ、この時とばかり、必要性や安全性の情報を流す。夏でも冬でも電力消費量のピーク時は、必要性広報の絶好機だ。
マスメディア広報・原子力に好意的な文化人を常に抱えていて、何かの時にコメンテーターとしてマスコミに推薦出来るようにしておく。コメンテーターにふさわしい人の名をマスコミが自然に覚えるよう、日ごろから工夫する必要がある。

などなど・・・、マスメディア、学会、メーカー、官僚が、このような世論操作を私たちの税金を使って検討していたのです。そして、大スポンサーとしてテレビを牛耳っていた電力会社の資金源は、もちろん私たちが払う電気代。自分たちのおカネで、自分たちを洗脳させ、国土を放射能で汚染させたかと思うと、ほんとうに無念でなりません。

このような命を、子どもたちの未来を脅かすような洗脳を、もう二度と可能にしないために、私たちは自分で考えなくてはなりません。物言う視聴者、消費者、納税者、何よりも物言う主権者でなくてはならないと思います。

これからできることはたくさんあると思いますが、まずはテレビがまた原発神話の建て直しにかからないように、おかしな番組があれば、視聴者として物を言いましょう。

テレビは、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と法律でも決められているのですから。


関連情報
・マスコミへ苦情を言うときの連絡先一覧

・『原発テレビの荒野 -政府・電力会社のテレビコントロール-』 
加藤久晴 著 2012年4月刊行予定 大月書店

2012/02/13

 
飯館村:長谷川健一さんのお話を聞いて

2月11日、神戸で開かれた「福島と向き合う講演会」で、飯館村の酪農家、長谷川健一さんのお話を聞きました。

福島原発事故後の3月14日。それまで放射能ことも原発のこともまったく関心がなく、ただただ自然とともに生きる村作りに尽力されてきた長谷川さんでしたが、次々と爆発する原発にさすがに不安になり、村役場に情報を聞きにいったそうです。すると「40マイクロシーベルトを超してる。でも、事態の全容がわかるまでは口外するな」と職員。しかし村の前田という地区の区長さんでもあった長谷川さんは、「これは緊急事態!」と早速地区の人々を集め、「放射能が来てるよ。外出するな!換気扇はつけるな!洗濯物は外に干すな!」と独断で指示を出されたそうです。

しかし、テレビをつけると「ただちに健康に害を及ぼすレベルではない」のオンパレード。その上偉い学者さんたちが村にやって来て「安全です。安心です。普通に生活してください」と繰り返す。それを聞いた村役場も村人も、その言葉を信じるしかなく、また子どもは外で遊びだし、洗濯物も外に干し、マスクもはずし・・・と以前の生活に戻ったそうです。

ところが、4月11日、「この村は危険で住んでいられないから、1ヶ月を目処に出て行きなさい」という「計画的避難区域」が発表されました。この1ヶ月間、飯館村の人々は、無責任な国や学者のたわごとに翻弄され、無用な被曝をさせられたのです。最初から被曝をできるだけ避けようと動き続けてきた長谷川さんには、ほんとうに無念だったでしょう。


長谷川さんのそれからの苦労は、酪農家の方でなければ、故郷を失った方でなければ、ほんとうにはわからないような想像を絶するものでした。そして、その苦悩は今でも変わりなく、そして将来にまで及んでいます。豊かな自然との共生を目指していた飯館村。村長も村民も皆で協力して造り上げた美しい村。それが3月11日を境に、まったく変わってしまった。村は美しいままだけれども、放射能に汚染されてしまっている。そして、村長は村という行政単位を守るためだけに動きだしてしまった。

私が今回長谷川さんのお話を聞いて、一番不思議に思ったのは、村長さんの動きでした。村長さんに直接お会いしたわけでもなく、長谷川さんのお話でしか知ることはないので、これは私個人の勝手な見解が大半と思って読んでいただきたいのですが、それまで皆で一緒に村作りをしてきたという村長さんが、事故以来、村人の健康や命ではなく、村という行政単位を守るために動きだしたというのが不思議でなりません。高い放射線量が確認されても、人々を避難させることよりも、人々がいなくなって村が存続しなくなることを懸念したという村長さん。そして、除染という気が遠くなるほどの困難な作業にすべてをかけて、飯館村への帰還を目指すという村長さん。


飯館村の首長さんだけではありません。他の近隣市町村も、福島県も、教育委員会も、ひいては国も、その行政単位を守るために、人々の健康を犠牲にするような政策が、事故以来ずっと取られてきているのではないでしょうか?その象徴が、高濃度に汚染された飯館村の人々に「安全です」と繰り返し、事故を小さく見せること、行政単位を守ることを優先させたこの国の、県の、役所の、業界の、学会の、そして村のリーダーたちではないでしょうか?

飯館村の人々を襲った、事故という悲劇と、リーダーたちによる裏切りという二重の悲劇は、この日本という国に住む私たちすべてを、いつかまた襲う悲劇であるかもしれません。
このような悲劇を二度と起こさないために、緊急事態において自ら考え、行動した長谷川さんのように、私たちひとりひとりが自分で考え、自分で行動し、そして声を上げていかなくてはならないと、強く思わされた講演会でした。


追記:除染について
長谷川さん自身は、山林が面積の大半を占める飯館村では、除染は無理だろうと思っているとのことでした。除染を考えるのと同時に、それが不可能だということを前提にした今後の対策を考えるべきだと、村長さんに提言しているともおっしゃいました。故郷を失うのは本当につらいことだけども、「除染やってみました、だめでした」という結果のために何年も無駄にするわけにはいかないともおっしゃっていました。

また、現在大熊町などで、除染のモデル事業が100億円をかけて行われているそうです。それは作業者に被曝を強いながらの過酷な作業であるにもかかわらず、結果は毎時100マイクロシーベルトであったものが毎時60マイクロシーベルトにしか下がらないというもののようです。
詳しくは下記のサイトより報告番組をご覧ください。
除染モデル事業に同行してわかったこと
報告:藍原寛子氏(医療ジャーナリスト)

2012/02/06

 
『放射線被曝の歴史』

今からおよそ20年前の1991年に刊行された『放射線被曝の歴史』をご存知でしょうか。福島第一原発事故を受け、昨年10月に増補版が再刊された名著です。著者は当時神戸大学教授として科学史を講義されていた中川保雄先生。一貫して原発労働者や子どもたちという弱い立場の人々の側にたち、「人間に安全な放射線はない」と訴え続けた研究者でした。

今日、「『放射線被曝の歴史』再考-ポスト3・11における意義を探る-」と題された、研究会が開催されていましたので、参加してきました。現在の神戸大学で科学史を講義されている塚原教授のゼミ生の発表と、再刊において補筆を担当された科学技術問題研究会の稲岡宏蔵氏、中川先生の奥様の慶子氏の講話による研究会でした。


研究会に参加して、本当にずっと靄にかすんで見えづらかったものが、はっきりと見えた気がしました。『放射線被曝の歴史』により中川先生が20年前から訴えていたことのひとつは、ICRP(国際放射線防護委員会)とその被曝防護体系・被曝基準への系統的な批判だったのです。現在も福島の子どもたちに年間20ミリシーベルトを強要するような政府の政策作成に深く関わっているICRPの見解。それが実は科学的根拠に基づくのではなく、社会的・経済的側面を考慮し、原発労働者の被曝防御対策を、原発を運転するのに可能な範囲のコストに抑えることを目的としたコスト・ベネフィット論なるものに基づく見解であることが、訴えられていたのです。

現在日本政府はICRPの見解に従い、「100ミリシーベルト以下の被曝では、放射線だけを原因としてがんなどの病気になっという明確な証拠はありません」と繰り返し、その一文を「放射線副読本」にまで記載し、2012年4月から福島では全ての小、中、高等学校で使用することと指導しているそうです。しかし、そのような「100ミリシーベルト」をめぐる見解は、今回補筆を担当された稲岡氏によると、例えば、原発労働者を対象にした調査では20ミリシーベルト以上の被曝でガン発症の有意差が見られたがそれは喫煙などの影響によるかもしれないなどというように、データを(影響はないとするために)意図的に解釈したことによるものであると言います。

客観的事実を歪曲、隠蔽し、そして原発を推進し、原爆を安全保障上の切り札として維持するために創りあげられた現在も続く原子力の虚構。その実態を中川先生はすでに20年前に訴えていらしたのです。


研究会は質疑応答も含め、予定の時間を大幅にオーバーするもので、このブログでご紹介するには限界がありますが、あまりにも暗く複雑な原爆にまつわる歴史や政治的思惑、経済的利便性などが絡まった顛末として、私たちに示されているのが、低線量被曝の危険性の過小評価だということがよく分かりました。そして、これまでぼんやりとしかその姿が見えなかった、そのカラクリと現実の恐ろしさを目の当たりにした思いでした。


質疑応答では、私も「放射線副読本」について発言させてもらいました。あのような本を使って先生方が教えなければならないのならば、放射線の危険性を子どもたちに伝えやすい差込教材のようなものを用意できないかと訊ねました。すると、もうすでに動きは始まっていて、「副読本」の撤回させ、科学的で正しい「放射線教育」を実現を目指す「教育現場から放射能の危険を考えるフクシマ連帯集会」が2月に開催が予定されていると教えていただきました。講話してくださった稲岡宏蔵氏と中川慶子氏は、さまざまな勉強会、集会など、人々と連帯し、核のない世界を創るために積極的に動き続けていらっしゃることも知りました。

また、今回の研究会に参加していた神戸大の学生たち、卒業生たちとも繋がることができました。問題の重大さには圧倒されるばかりですが、事実を知り、現実を見つめ、そして人々と繋がって、共に問題を解決していくために動く・・・改めてその大切さを感じさせてもらえた研究会でした。


関連情報:
・福島から教職員の皆さんを招き
「教育現場から放射能の危険を考えるフクシマ連帯集会」
日時:2月25日(土)13:30~16:30
会場:アウィーナ大阪 4階金剛
主催:若狭連帯行動ネットワーク他
協賛団体:科学技術問題研究会、原発の危険性を考える宝塚の会他

・今回参加した研究会
「19世紀の科学と文化」第3回研究会
『放射線被曝の歴史』再考-ポスト3・11における意義を探る-
主催:神戸大学大学院国際文化学研究科異文化研究交流センター



追記
2月5日は、大阪の高槻で行われた細野原発担当大臣の国政報告会に参加しました。細野氏も福島の子どもたちの健康は一番気にかかっていると発言されていましたが、その子どもたちに年間20ミリシーベルトを強要する背景には、ICRPなどの原子力推進者たちが造った機構の存在があることを、本日改めて痛感しました。

2月4日には、「さようなら原発1000万人アクション」の兵庫県集会に参加しました。講演されたジャーナリストの鎌田 慧氏が、「今、私たちは広島原爆投下後、そして長崎原爆投下前にいる。あの時、政府は『国体の護持』にしがみつき、何もせずに長崎への投下を招いてしまった。今、私たちが何もしなければ、また長崎を、第二の福島第一原発事故を招くことになる」というような発言をなさいました。ひとりひとりが動かねばなりません。

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